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広島地方裁判所 昭和57年(ワ)952号 判決 1983年9月29日

原告 有限会社 港タクシー

右代表者代表取締役 平松二六

<ほか一名>

右両名訴訟代理人弁護士 岡秀明

同 冨川勲

被告 田辺幹雄

<ほか三名>

右四名訴訟代理人弁護士 高村是懿

同 二国則昭

被告 全国自動車交通労働組合総連合会広島地方本部呉支部

右代表者執行委員長 切田明

右訴訟代理人弁護士 高村是懿

主文

原告らの各請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一申立

一  原告ら

1  被告全国自動車交通労働組合総連合会広島地方本部呉支部(以下、「被告組合」と略称する。)及びその余の被告らは、各自、原告有限会社港タクシー(以下、「原告会社」と略称する。)に対し金二〇〇万円、原告平松に対し金三〇〇万円及び右各金員に対する被告組合は昭和五四年六月一日から、その余の被告らは同年五月二七日から各支払ずみまで各年五分の割合による金員を支払え。

2  原告らに対し、被告組合は別紙(一)記載の、その余の被告らは別紙(二)記載の謝罪広告文を、中国新聞朝刊(呉版)に臨時広告一二センチメートル×七センチメートルの大きさで一回掲載せよ。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  一項について仮執行の宣言

二  被告ら

主文と同旨

第二主張

《以下事実省略》

理由

一  原告会社は一般乗用旅客自動車運送事業(いわゆるタクシー事業)を営むものであり、原告平松は原告会社の代表取締役であることは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によると、被告組合は単一組合で、タクシー関係で九つの事業所単位に分会を有しており(トラック部分で一つの分会を有しておる)、その余の被告らは被告組合の組合員であったことが認められる。

二  《証拠省略》を総合すると、被告組合は、その委員会の決定に基づき、昭和五四年四月四日から一〇日まで、五月一六日、同月一八日から二二日、二五日、二六日、二八日、二九日にわたって、その所属の組合員をして、スピーカーを取り付けた宣伝カーにより、呉市内各所(原告平松の私宅の周辺も含む)において、別紙(三)記載の事項を宣伝(ただし、五月になされた宣伝内容は被告ら主張のとおりに変更)したが(なお、右宣伝カーの車体の両側及び後部に、「港タクシー平松二六社長は広島高等裁判所の和解協定を守れ」と記載した垂れ幕を付していた)、右宣伝のうち、被告中村、同田辺は四月六日に、被告松浦、同小林は四月七日に従事したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

三  本件宣伝の正当性の有無について判断する。

1  前記二の事実に、《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》

(一)  原告会社は、昭和五三年一〇月三日に被告組合の組合員であった訴外人を懲戒解雇した。

(二)  訴外人は右懲戒解雇が不当であるとして、広島地方裁判所呉支部に、申請の趣旨を、「訴外人が原告会社に対し雇用契約上の権利を有する地位を仮に定める。原告会社は訴外人に対し、昭和五三年一〇月から、訴外人から原告会社に対する解雇無効確認請求事件の判決確定に至るまで毎月二八日に金一四万六九九八円をそれぞれ支払え。」とする仮処分申請をしたが、同裁判所は同年一二月一二日付で右仮処分申請を理由なしとして却下した。

(三)  訴外人は右決定を不服として広島高等裁判所に抗告し、同裁判所において、受命裁判官によって和解がすすめられた結果、昭和五四年三月二七日に左記条項の和解が成立した。

(1) 原告会社は、原告会社が訴外人に対して昭和五三年一〇月三日付をもってなした懲戒解雇処分は本日これを撤回する。

(2) 原告会社は訴外人が昭和五三年一〇月三日から昭和五四年四月二日までの間訴外人の自己都合で休養したものであることを認める。

(3) 訴外人は昭和五三年一〇月一日の運転日報の所要事項を過誤により記載しなかったことを認め、今後運転日報を正確に記載することを確約する。

(4) 原告会社は訴外人に対し、本件和解金として金一〇万円を昭和五四年三月三一日限り訴外人代理人高村是懿法律事務所(呉市中央二丁目二番一二号中央ハイツ六〇二号)に持参又は送金して支払う。

(5) 原告会社は訴外人に対し、本件に関して一切の不利益処分をしない。

(6) 訴外人は訴外人所属の組合並びにその組合員以外の者に対し、本件和解に関して宣伝、公表等を一切しない。

(7) 訴外人は、訴外人と原告会社間の広島地方裁判所呉支部昭和五四年(ワ)第二〇号解雇無効確認請求事件の訴をすみやかに取下げる。

(8) 訴外人は本件その余の申請を放棄する。

(9) 本件仮処分手続費用及び抗告手続費用は各自の負担とする。

(四)  ところで、原告会社の運転手の勤務体制は、勤務日を異にするA番とB番に分れて隔日勤務(午前七時に始業し、翌日午前二時に退社し、その日は非番で、次の日の午前七時に始業)となっており、訴外人の前記解雇当時の勤務はA番であったが、前記和解当時はA番勤務者一八名、B番勤務者一六名となっていたため、前記和解条項が書記官によって読まれ、双方の合意が確認された後、原告会社から、訴外人の勤務をB番勤務に変更し、B番勤務者の出勤日にあたる四月四日から出勤して欲しい旨の申出がなされた。

(五)  A番、B番いずれの乗り番に勤務するかによって賃金や労働時間は異ならないが、通常乗り番の変更は特別な事情のない限り行われていないため、同一会社に勤務する運転手でも、乗り番を異にすれば面識は殆んどなく、同一勤務番の者同志で交遊関係が生じており、従って乗り番を変更することは、運転者同志の人間関係では他社に勤務するのと同様な状態となり、また多くの場合に担当車両の変更をも伴うこととなる。

(六)  訴外人は、和解条項で休養と認められた最終日の四月二日はB番の勤務日に該当していたので、三日からA番勤務として復職できるものと考えており、B番勤務への変更は前記のように同僚との人間関係がすべて新しくなることから、前記原告会社からの乗り番の変更の申出には応じ難い旨を述べたところ、裁判官から、「職場に復帰できるのであるから、わがままを言ってはならない。」という趣旨の発言があり、代理人弁護士から小声で、「更めて団体交渉で解決することにしたら良いのでは」といった趣旨の助言を得たので、右助言に従うこととし、それ以上に諾否については明示の意思表示をしないまま退席した。

(七)  前記の和解成立直後に裁判所構内で開かれた被告組合の報告集会において、訴外人の代理人弁護士から、前記条項の和解が成立したこと及び原告会社から、訴外人の乗り番変更が提示されているので、この問題については団体交渉で解決することが良いこと等の報告がなされた。

(八)  被告組合は検討の結果、三月二八日に原告会社に対し団体交渉の申入れをし、翌二九日に団体交渉がされたが、その席上、被告組合が、訴外人の勤務を変更するのは、不利益変更禁止の和解条項に反する旨主張したのに対し、原告会社は、「人事権は会社が持っている。」、「変更する理由を説明する必要はない。」旨の回答をくり返し、果ては退去要求をし、被告組合側がこれに応じなかったことから、警察官の派遣を要請して、その来訪を受けるといった状態にまで至り、同日は未解決のまま物別れとなった。

そして被告組合からの申し入れにより同月三一日再度団体交渉がもたれたが、原告会社は、A番勤務の人数が一杯であることを理由に、訴外人をB番勤務に変更することは止むを得ない旨を告げ、被告組合から、「A番勤務者中、それに勤務して日がまだ浅い者がいるから、同人をB番勤務として訴外人をA番勤務に復職させるべきである。」といった要請が出されたが聞き入れられず、更には、「将来A番に欠員ができた時は、訴外人をA番勤務とするか」といった質問に対しても、「確約はできない。」旨の回答をし、結局同日の団体交渉も未解決のまま終った。

(九)  被告組合は、四月二日に委員会を開いて討議した結果、訴外人をB番勤務に変更することは、不利益処分禁止の和解条項に違反する不当配転であるとして、このことを街頭宣伝して市民に訴える方針を決定し、宣伝文を作成し、これをテープに吹き込み、前記二のとおり本件宣伝に及んだ。なお訴外人は四月三日に就労すべく原告会社に赴いたが、四日からでないと就労させないといわれ、一応止むなく四日からのB番勤務を続けることとなった。

2  労働組合が、使用者の従業員に対する処遇を非難する等して行う宣伝活動は、使用者に対抗し、いわば斗争状態における組合活動の一環としてなされるものであり、それを聴く一般市民も、紛争中の当事者の一方が、独自の評価に基づく主張内容を宣伝しているものであることを承知しているとみられるから、例えその宣伝内容のうちに、枝葉の点について客観的な真実に反した部分があったり、評価の点で偏頗な点がみられたり、あるいは表現方法に穏当でない部分があったりしても、宣伝目的が個人を不当に攻撃するためではなく、全体の趣旨が真実を伝えるものであり、仮に真実でなかったとしても宣伝内容のように理解しあるいは表現することが、当事者の一方としては無理からぬといったような事情がある場合には、なお正当な組合活動として民事上の責任を免れると解するのが相当である。

3  これを本件について考察するに、

(一)  前記認定事実によると、訴外人の解雇問題は和解で解決したのであるから、例えその内容が、当事者一方の主とした申立内容に合致したものであっても、勝訴、敗訴といった表現で他人に宣伝することは当を得たものでないばかりか、仮処分の申請の趣旨と和解内容を対比すると、客観的には、原告会社が「全面敗訴」したということはできず、本件宣伝内容、特に四月中になされた宣伝内容は右の点で真実に反したものである。

(二)  次に、A番勤務からB番勤務への変更については、職場における同僚関係が全く新しいものとなり、多くの場合に担当車両の変更も伴うのであるから、これを「配置転換」の問題として取り扱うことは相当ではあるが、和解成立当時の両勤務の人数からすると、訴外人の勤務をB番勤務に変更することは、原告会社にとっては止むを得ないものがあり、必ずしも「不当な」配置転換とは認め難い(なお原告らは、B番勤務への変更については、訴外人は和解の席で承認した旨主張し、前記認定事実によると、あるいは黙示的に承認したものと受け取られても止むを得ないかのような状況にあったとは認められるが、承認したものと認めることまではできない)。

(三)  しかしながら、別紙(三)記載の宣伝文言全体及び車体に表示された文言を総合すると、本件宣伝の主たる趣旨は、訴外人に対するB番勤務への変更(配置転換)が解和条項に反する不当なものとしてこれに抗議をすることにある(従って、原告平松を不当に攻撃するためのものではない。)と認められるところ、被告らが右の「不当」と評価したことについては次の事情が認められる。

(1) 前記認定のように、和解で休養と認められた最終日の四月二日はB番の勤務日であったから、翌三日からA番勤務として復職できると考えた。

(2) 《証拠省略》によると、原告会社では乗り番の変更は十数年間行われていなかったが、訴外人に対して解雇の意思表示がなされた昭和五三年一〇月から和解の成立した昭和五四年三月までの間に、三名の者がB番からA番に変更され、そのために和解成立当時にA番一八名、B番一六名といった不均衡が生じたことが認められる。

(3) 《証拠省略》を総合すると、被告組合は、昭和五一年七月と昭和五二年二月に、労働基準局に対し、原告会社が長時間労働を強要するものである等として告発(労働基準局は昭和五二年九月に原告会社について時間外労働をさせた疑いがあるとして広島地方検察庁呉支部に書類送検し、広島陸運局長は同年一二月七日に原告会社に対し、自動車運送事業等運輸規則二一条に定められている乗務員の過労を防止するための措置を適正に行うこと等の警告を発した。)する等、かねてから原告会社と被告組合との間には相当の紛争があり、原告会社代表者兼原告平松二六が広島県乗用自動車協会理事で労務担当委員に就いていたこともあって、被告組合は、原告会社が被告組合を敵視し、組合員に対して不当な差別待遇をしているとの認識を有していた。

以上の諸点や前記1(八)の団体交渉の経過等諸般の事情からすると、被告らが、訴外人のB勤務への変更は、不利益禁止処分を定めた和解条項に反し、不当な配置転換であると理解し、そのように宣伝したことには無理からぬものがあったと認められる。

(四)  そうすると、本件宣伝行為はその内容が必ずしも真実に合致したものではないが、なお正当な組合活動の範囲内にあったものとして、民事上の責任は免れるというべきである。

四  以上の次第で、原告らの各請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 出嵜正清)

<以下省略>

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